東京高等裁判所 昭和28年(ネ)1750号 判決 1955年2月21日
控訴人 稲葉よし 外一名
被控訴人 上杉英雄 外一名
主文
本件控訴を棄却する。
控訴申立後の訴訟費用は控訴人らの負担とする。
事実
控訴人ら代理人は、原判決を取り消す、被控訴人らの本件不動産仮処分申請を却下する、との判決を求め、被控訴人ら代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張は、双方各代理人の当審における次のような新たな陳述の外すべて第一審判決の事実摘示のとおりであるからここにこれを引用する。
一、被控訴人ら代理人の陳述。
(一) 本件は所有権に基ずくものであつて、被控訴人らが本件土地の所有権を取得するに至つた経過とこれに伴う登記の推移は次の如くである。即ち、右土地は元、亡上杉勘十郎の所有であつたところ明治三九年一〇月三日附売買により亡上杉治作がその所有権を取得し、翌四日これが登記を了し、次いで上杉太郎において昭和八年八月一七日右治作の死亡による家督相続によりその所有権を取得し、昭和九年一月二四日これが登記を了し、更に右太郎は昭和一〇年一〇月一八日これを亡上杉ゆわに売り渡し、翌一九日これが登記を了し、被控訴人らは昭和二一年二月一六日右ゆわの死亡による遺産相続によりその所有権を取得し、同年四月四日その旨の登記を了したものである。そして仮りに勘十郎と治作との間の前記売買が存しなかつたとしても、(売買がなかつたとすれば、追認などは主張しない。)勘十郎の長男たる治作は昭和二年六月一〇日右勘十郎の隠居によりその家督を相続したのであるからここに本件土地は治作の所有に帰した次第で、その後の前記のような経過によつて被控訴人らの所有となつたことになる。被控訴人らの本件土地所有権取得の原因としては右ゆわからの遺産相続のみを主張し、その他は主張しない。なお本件の本訴は昭和二四年(ワ)第八号土地引渡請求事件として静岡地方裁判所にけい属中である。
(二)(1) 控訴人ら主張の(二)の如き申合せ、贈与が勘十郎と治作との間に成立したことは否認する。仮りにそのような申合せ、贈与が行われたとしても、この贈与については登記がなされていないからこれをもつて昭和一〇年一〇月一八日本件土地を売買により取得し、次いでその登記を経た上杉ゆわ及びその承継人たる被控訴人らに対抗できない。
(2) 控訴人ら主張の(三)、(イ)、(ロ)の事実はいずれも否認する。
(3) 控訴人らが(四)において主張する、勘十郎が昭和二年六月一〇日以降十年間所有の意思をもつて平穏かつ公然本件土地に対する占有を継続したとの事実は否認する。即ち、控訴人らの主張によれば(第一審判決の事実摘示参照)本件土地のうち七七七番の一、同番の二、同番の三は明治四七年頃以降治作より、他の七筆は昭和一〇年頃以降太郎より、それぞれ亡稲葉和三郎において賃借して耕作してきたというのであるから勘十郎は所有の意思をもつて占有していたのではない。仮りにそうであつたとしても占有のはじめ善意、無過失でなかつたことは明かである。なお、若し控訴人ら主張の如き勘十郎の占有があつたとしても、時効期間満了前の昭和一〇年一〇月一八日上杉ゆわは本件土地を売買により取得したのであるから、時効取得の登記を経ていない勘十郎及びその承継人は時効取得をもつてゆわ及びその承継人に対抗できない。
二、控訴人ら代理人の主張
(一) 本件土地につき被控訴人ら主張の如き順次の所有権移転登記の存する事実は認めるが、被控訴人ら主張の亡上杉勘十郎と亡上杉治作との間の売買はその実存在しないものである。即ち本件土地は元、右勘十郎(被控訴人らの被相続人亡上杉ゆわの父)の所有であつたが、同人が罪を犯して受刑不在中その長男たる右治作(上杉ゆわの兄)が父勘十郎の印章を盗用して――本件土地を含む十数町歩の勘十郎の所有地につき――売買証書を偽造行使し売買名義による所有権移転登記をなしたものである。従つて右登記は全然無効のものであり、治作において売買により本件土地の所有権を取得するいわれもない。故に治作において売買によりこれが所有権を取得したことを前提とし、その後の相続、売買を理由として、本件土地が自分らの所有に帰したとする被控訴人らの主張は失当である。なお、被控訴人ら主張の如き本件の本訴がけい属中であることは認める。
(二) 勘十郎の隠居によつて治作は本件土地の所有権を取得したものでなく、ひいてその所有権は被控訴人らに存せず、右土地の所有権の帰属の推移は被控訴人らの主張と異り次の如くである。
前記(一)記載の如く治作において勘十郎の不在中独断で本件土地を含む十数町歩の勘十郎の所有地につき自分に所有権移転登記をしたがため、大正二年中勘十郎が出所してこれを知り紛争となつたのであるが、結局右両者間に、勘十郎の右所有地は治作の所有になつたことを相互に申し合せると共に、本件土地は勘十郎の隠居面として改めて治作から勘十郎に将来勘十郎の隠居手続の終了を条件にその時勘十郎の所有とする旨の贈与の合意ができて落着した。そして勘十郎は昭和二年六月一〇日隠居したから右合意の趣旨によりこの時はじめて本件土地は同人の所有に帰したのであつて、同人の右隠居によつて治作がこれを相続取得するいわれはない。従つて太郎においてこれを相続取得するに由なく、同人から本件土地を買い受けたとなすゆわは無権利者から買い受けたことになり、その所有権を取得することはできず、結局被控訴人らは本件土地の所有権を取得していないことになる。他方、右の如く隠居の際はじめて右土地を取得した勘十郎は昭和一一年九月二九日太郎が戸主たる上杉家から亡上杉多聞(勘十郎の孫、治作の二男、太郎の弟)を伴つて分家したのであるが、昭和一三年三月一日死亡したため多聞においてその家督相続をなし、ここに本件土地は右多聞の取得するところとなつたが、同人は昭和一九年頃戦死してその後相続人曠欠の状態にあるものである。
(三) 仮りに勘十郎の隠居による家督相続によつて治作が、次いで治作の死亡による家督相続によつて太郎が、順次本件土地の所有権を承継したとしても、被控訴人ら先代ゆわと右太郎間の右土地の売買は次の理由によつて所有権移転の効力を生ずるに由なきものであるから被控訴人らもこれが所有権を取得していないことになる。
(イ) 右売買は太郎が当時ゆわに対し金借を申し出たのに際し、ゆわは前記(二)記載の如く本件土地が勘十郎の所有であることを知つていたので、財産の保管のため当事者相通じてなされた虚偽の意思表示であるから無効である。
(ロ) 仮りに右売買が虚偽の意思表示でないとしても、右はゆわが太郎に対し貸与したその貸金の担保としてなされたものであつて、右の貸金債権は残存している関係にあるのであるから右売買は所有権移転の効力を生ずるに由なきものである。
(四) 仮りに以上の主張が理由なく、本件土地が一方において勘十郎の隠居による治作の相続、治作の死亡による太郎の相続、太郎とゆわとの間の売買によつてゆわに移転した都合であるとしても、(二)記載の如く治作と勘十郎との間に本件土地の贈与の合意ができたことは事実であり、そして勘十郎は右約定の趣旨に従つて隠居の時たる昭和二年六月一〇日その所有権は自分に帰したものと思い、いわゆる所有の意思を以て爾来平穏かつ公然とこれを使用、収益してその占有を継続して来たものであるから一〇年の期間が満了した昭和一二年六月九日の経過と共に時効により本件土地の所有権を取得したことになり、従つて被控訴人らは単に登記簿上所有名義を有するにとどまり真実所有権を有しない。
<立証省略>
理由
(一) 被控訴人らの本件土地所有権取得及びその対抗力の有無について。
第一審判決末尾目録書記載の本件土地が元、亡上杉勘十郎の所有であつたこと、右土地につき勘十郎より亡上杉治作に明治三九年一〇月四日附で同月三日附売買による所有権移転登記がなされていることは当事者間に争がない。そして当裁判所が真正に成立したものと認める乙第八、第一三、第一九、第二〇号証に弁論の全趣旨を綜合すれば、右売買は真実行われたものでなく、右登記は勘十郎が罪を犯して服役、不在中その長男たる治作が父勘十郎の印判を盗用して本件土地を含む十数町歩の勘十郎の所有地につき売買名義をいつわつて所有権移転登記を受けたのによるものであること控訴人ら主張の如くであることが認められると共に、他面、勘十郎が受刑を終つて帰り治作の右所為を知るや大いに怒り表沙汰にまでなつたのであるが、親戚らの配慮によつて大正二年六月頃両者間に、右名義移転の土地が治作の所有になつたものとして勘十郎において認めると共に、本件土地は勘十郎のいわゆる隠居面として改めて治作から勘十郎に贈与する旨の合意ができたのであるが登録税金に差し支えこれが登記を延引していたものであること、即ち、控訴人らの主張と趣きを異にし治作、勘十郎間に成立した本件土地の贈与は将来の勘十郎の隠居手続の終了を条件としその時を以て所有権が移転するという趣旨のものではなくて、右の合意の成立と同時に本件土地は勘十郎の所有となるという趣旨のものであつたことが窺われるのであつて、これらの認定を左右すべき疏明はない。本件土地は大正二年六月頃勘十郎の所有となつたものであること右の如くである以上勘十郎の昭和二年六月一〇日の隠居による治作の家督相続(勘十郎が同日隠居したことは控訴人らの自ら主張するところ、又右隠居により治作が家督相続をしたことじたいは控訴人らの明かに争わぬところである。)によつて本件土地は治作に承継取得されたものといわねばならぬ。もつとも隠居面として贈与された土地が隠居と共に相続人に移転するというのは矛盾の感がないではない。そして勘十郎はもとより一部親族の間でも勘十郎の隠居後本件土地が同人の特有財産としてその所有権が依然勘十郎にある旨主張し、相許して来たことは前記疏明によつても窺い得られるのであつて、かようなことは前記のいきさつからいつて通常人として無理からぬこととも考えられる。然し、さればといつてこれら疏明によれば、贈与の目的は隠居面とするにあつたにせよ、贈与のしかたとしては前記の如く贈与の成立と同時に所有権が移転する、とされていたものと認めざるを得ないのであり、そして、当事者間の合意によつていわば相続の効力に服しない贈与をするというようなことはもとより許さるべくもないことであるから勘十郎において確定日附ある証書によつて財産留保をしたことの認められない本件においては右のような結果になるのも已むを得ないのである。
以上の如く、本件土地を治作において勘十郎から買い受け取得したとする被控訴人らの主張は理由がないけれども、勘十郎の隠居により治作において相続取得したとする主張は結局理由があることになると共に、勘十郎が隠居と同時に本件土地の所有権を取得したことを前提としてなす右土地の所有権の帰属に関する控訴人らの(二)の主張はすべて理由なきに帰する。
ところで被控訴人らは勘十郎の隠居による治作の本件土地の所有権取得は治作がなした前記の売買による所有権移転登記の故に対抗力を有するとなすものであることはその主張の全趣旨から明かであるので以下この点について判断する。
右所有権移転登記はすでに見たように、登記当時においてはこれにそう物権変動は実質上存しなかつたのであり、又登記義務者の意思に基ずかないでなされた登記なのであるからこのいずれの点からいつても本来無効のものといわねばならぬが、前者のいわゆる実質上のかしは勘十郎の隠居による治作の本件土地の相続取得によつて登記にそう実質関係の具備があつたことになり、ここに治ゆされたものというべく、問題は後者にある。
いうまでもなく登記制度は不動産物権に関する取引関係の保護を目的とするものであり、登記がもともと実質的物権変動に対しその本来有すべき対抗力を付与するに過ぎぬものであることを考えると、いやしくもその登記が真実の実質関係に対応するものである以上、登記手続の発動上におけるかしは能う限り登記の効力そのものには影響せしめぬ――たとえば不正行為者の責任などは別に問題とするとして、――という行き方が登記制度の本旨からいつて好ましいと考えられるのである。ここに登記申請の意思なるものがいかに考えられ、いかに取り扱われているかについて考察すべく、その一例として一般に登記における実質的要件の問題として取り扱われている、仮装の売買に基ずき所有権移転登記を受けた者がその後真実の売買により所有権を取得した場合にはそれ以後この登記を以て真実の所有権取得を第三者に対抗し得る(例えば最高裁判所昭和二九年一月二八日言渡判決参照)とされている事例を見よう。この場合登記申請者が申請の際に有する当該の具体的な物権変動についての登記申請の意思――それこそが本来の意味での登記申請の意思なのである。――なるものは虚偽表示にかかる物権変動についてこそあれ、当時予想もされぬのを普通とする後日行われるかも知れぬ真実の物権変動についてはあり得ようもないのが現実である。(真実の物権変動についての具体的な登記意思がないという点から見れば設例の場合と本件の場合との間には差異はない。異るのは前者においてはいわば抽象的な登記する意思といつたものが――元来法的に登記意思とされるのはさようなものではない筈である。――存し、後者においてはそれも存しないという点にある。)それにも拘らず設例の場合に真実の物権変動の発生を条件に初めの登記が確定的に有効となるとされるのは登記における実質的要件と意思的要件との比重、関係について前記のような傾向の見解が是認されているともいえるし、又別の面からいえば登記の有効要件として必要な登記申請の意思なるものは厳格に登記申請の際に心理的に存する当該の具体的物権変動についての意思に限局さるべきではない趣旨を示すものともいえるのである。
以上の諸般の点から考えると、本件における如く物権変動なきところに登記権利者が登記義務者の意思に基ずかずして勝手に登記をなし、後日相続が行われ真実の物権変動が生ずると共に登記権利者が登記義務者の地位を承継したという場合には――実質的かしの治ゆされると共に、――意思的かしもここに治ゆされその時以後有効な登記となるとするのが適切である。
従つて、結局勘十郎の隠居による治作の本件土地の相続取得は、同時にまたその対抗力を具えたことになる。
次に本件土地につき被控訴人ら主張の如く昭和八年八月一七日治作の死亡による家督相続を原因とする上杉太郎の昭和九年一月二四日附所有権取得登記、及び太郎からの昭和一〇年一〇月一八日附買受けによる亡上杉ゆわの翌一九日附所有権取得登記がなされていることは控訴人らの認めるところであつて、この事実と成立に争なき甲第一〇号証、原審証人上杉太郎の証言の一部、当審証人上杉彌三郎の証言を綜合すれば、本件土地が被控訴人ら主張の如く治作から太郎に移転し、次いで太郎から右ゆわの買い受け取得するところとなつた事実を認めることができ、右証人上杉太郎の証言中この認定にそわない部分は当裁判所の信用しないところで他に右認定を動かすに足る資料はない。
控訴人らはゆわと太郎間の売買は財産の保管のため当事者通じてなした虚偽の意思表示であるから無効であると主張するけれども、この点については認むべき疏明なく、次に又控訴人らは右売買は貸金の担保としてなされたものであるから所有権移転の効力を生じないと争うけれども、譲渡担保と雖も原則として内外部的に少くとも外部的には所有権の移転を生ずるものであるし、本件においては単純な売買と認めるのが前記疏明に徴して相当であるから何れにしても控訴人らの右抗争は理由がない。
次に、控訴人らの勘十郎が本件土地を時効取得した旨の主張について判断する。控訴人らは勘十郎が治作からの贈与によつて昭和二年六月一〇日の隠居と同時に本件土地の所有権を得たものと信じ、爾来所有の意思を以て占有を継続したと主張するものであるところ、右両者間の贈与の内容上所有権移転の時期とされたのは贈与と同時(大正二年六月頃)であること前記認定の如くであるから、勘十郎が隠居によつてこの時所有権を得たものと信じ、この時から所有の意思を以て占有したということは無過失にはあり得ないことであるから、結局その他の点についてせんさくするまでもなく時効に関する控訴人らの主張は採用できないこと明かである。
次に本件土地につき昭和二一年二月一六日ゆわの死亡による遺産相続を原因とする被控訴人らの同年四月四日附所有権取得登記の存する事実は控訴人らの認めるところであり、この事実と成立に争なき甲第三号証によれば被控訴人らがその主張の如く本件土地を遺産相続により承継した事実を認めることができる。そして右遺産相続による所有権の変動は被相続人の死亡という自然的事実に基ずき法律が与える効果なのであり、何ら被相続人の処分行為によるものではないから、たとえ昭和一一年七月中に勘十郎からゆわに対し控訴人ら主張のような処分禁止の仮処分がなされていたとしてもこれがため被控訴人らの所有権取得に影響すべきものではなく、従つて右仮処分の故に被控訴人らの所有権取得が無効であるとする控訴人らの主張も採用できない。
以上これを要するに、本件土地の所有権は勘十郎から治作に治作から太郎にそれぞれ家督相続により承継せられ、次いで太郎からゆわに売買により移転し、更にゆわの死亡による遺産相続によつて被控訴人らに承継され現に被控訴人らの所有に属すると共に、順次の所有権移転登記によつて右一連の所有権移転は控訴人らに対抗し得る関係にあることが認められる。
(二) 控訴人らの本件土地の占有権原の有無について。
控訴人らにおいて現に本件土地を占有耕作していることは当事者間に争がない。控訴人らは「本件土地のうち七七七番の一、同番の二、同番の三合計七反二畝一三歩は明治四一年八月頃控訴人稲葉よしの亡夫であり控訴人稲葉伝蔵の養父である亡稲葉和三郎が亡上杉治作から期限を明治四七年麦蒔付の時まで六ケ年半と定めて賃借小作し、その後も右契約を更新し小作して来たもの、その他の土地七筆は昭和一〇年頃上杉太郎より期限、小作料の定めなく借り受け耕作し来つたもので要するに正当の権原に基ずき占有耕作している」旨主張し、右七反二畝一三歩の土地につき明治四一年八月頃控訴人ら主張のような内容の小作契約がなされ大正五年頃までその小作料の支払があつたことは原審証人上杉太郎の証言によつて真正に成立したものと認められる乙第四、第五号証、当裁判所が真正に成立したものと認める乙第二三号証の一、二により窺われ、又右証言によれば、はつきりしないが、他の七筆の土地も治作から和三郎に賃貸されたもので、これら賃貸借による小作の関係はその後も続いていたように見られるふしもあるのであるが、仮りに、これらの小作権(賃借権)が前記認定の亡上杉ゆわの本件土地買受当時まで存続していたとしても賃借権の登記のなされたことの認むべきものがないのであるから当時としては買受人たるゆわに対抗し得ない関係にあつたものというべく(ゆわが賃借権を承認した旨の何らの疏明もないのみでなく、却つて同人は土地買受後控訴人らの本件土地の耕作を拒否していたことが弁論の全趣旨から窺われる。)、昭和一三年八月一日の施行にかかる旧農地調整法第八条第一項の規定やその後その廃止と共に施行された農地法第一八条第一項の規定をここに援用して論ずることは許されない。従つて右ゆわ、又その遺産相続人たる被控訴人らに対しては控訴人らの右賃借権による正当権原の主張は許されないものである。
(三) 仮処分の適法性、必要性などについて。
以上の如くであるから控訴人らの本件土地の占有は不法でありその所有者たる被控訴人らは控訴人らに対しこれを原因とし所有権に基ずき右土地の引渡を請求する権利を有するものと一応認めるの外なく、現にその本訴が昭和二四年(ワ)第八号土地引渡請求事件として静岡地方裁判所にけい属中であることは当事者間に争ないところ、前認定から分るように控訴人らが長年に亘り本件土地を占有、耕作し来り、その間土地所有権が転々として被控訴人らに帰属した後も極力これを否認して右土地の耕作を継続せんとしていること、その他の諸事情に鑑み、本件土地引渡請求権の執行を著しく困難ならしむるおそれありと認められるから、右執行の保全のため仮処分を必要とするものといわねばならぬ。
そして、被控訴人らがその所有権に基ずいて不法占有者に所有地の引渡を求めること並びにその執行保全のための仮処分を求めることは被控訴人らの正当な権利の行使というべきであつて何ら権利濫用と目さるべき点なく、又本件土地が買収さるべき運命にあることはこれを窺うに足る疏明資料なく、仮りに買収さるべき運命にあるとしても未だ現実に買収がされていない以上控訴人らは被控訴人らに対し本件土地の引渡を拒む何らの権利なく、従つて又本件仮処分の請求を免れ得る何らの理由もないから、これらの点に関する控訴人らの主張はすべて排斥せざるを得ない。
而して本件土地引渡請求権執行保全の仮処分としては以上認定の諸般の事情並びに当審証人上杉彌三郎の証言に徴し当裁判所もまた原判決が命じた程度の処分を以て執行保全の目的の達成に必要にして十分なりと認める。控訴人らに耕作を許す場合損害の担保として年額三千円の支払を条件としたのもあながち不当とはいえない。
よつて右と同趣旨に出た原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから民事訴訟法第三八四条第一項、第九五条第八九条、第九三条第一項本文に則り主文の如く判決する。
(裁判官 薄根正男 原宸 古原勇雄)